設計監理者を入れることは贅沢ではない
印象が理解を超えているのは悲しいことがある
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2005年11月04日(Fri)
設計監理者を入れることは贅沢ではない
世間一般の印象として、設計者を代理人として立てることは、設計監理の費用を余分に使いことになる、またデザイン性などの設計者の自己満足な考え方が入る、したがって結果として贅沢な建物を建てることになってしまうという・・・と誤解されている方が意外と多いようです。
特に設計者の利害の対岸におられる関係者が主張してやまないようです。 そういった方々はたぶん学生時代にその種の講座の単位を落とされている方か、もしくは他の学部に席を置かれていた方々なのでしょう。 小生のような近視眼の方が眼鏡を無くすと不自由なように、建築を深く勉強したことがなければ、そのきめ細かな部分が見えてくるわけもなく、したがって工事契約の中身が最初から委細に作られていなければ、たとえ契約書が存在しているからと安心していても、コップに穴が空いた状態で水をすくっているようなものです。 最初から小さな穴から水が漏れておれば浸みだしているのも気が付かないことになるからです。 設計者が自身の自己満足のためとはいえ、そのきめ細かな図面と積算書を片手に現場に通っておれば、自ずとそれは施主自身がご自分の建物の善し悪しを測る物差しを手にしているのと同じなのです。 裏返すと物差しのない現場には贅沢をしているか否かもわかり得ないと言うことになります。 またお金がどれだけかかったから贅沢だという発想は、ちょっと被害妄想的で闇雲すぎるようにも思えてきます。 建築の積算では1m2についていくらとか、単位あたりの金額を単価と呼びますが、それと同様に、出来上がった建物の単位あたりの費用対効果としてどうかと評価すべきものとも言えます。 自身がどんな建物をどのように造ろうとしているかを知る物差しを持って建築に臨むことは、財産を確実に理解できうる状態で手にすることになり、インフラ成熟時代にマッチしたやり方なのです。 そして全然贅沢なんかではありませんし、小生から見ると単なる世間知らずにさえ写ることもあります。 余談ですが、逆にお金を生ませることだって出来ることがあります。 (こちらもご参照下さい) |
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カレンダ
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