まちかどけんちくか・の岐阜ブログ家 すぎはら設計/一覧

いえを建てたら料理が美味しくなった いえを建てたら趣味ができた いえを建てたら人生が変わった





2008年07月11日(Fri)▲ページの先頭へ
地下室の在る家
ごく最近、ある方から以前このブログにも書き込んだ「地下室を作らせてください」なるタイトルについてのメールを頂きました。

地下室の言葉のイメージは湿度の高い良くないものを感じたりしますが、まさに結露で散々な目に合った・・・といった内容も含まれていました、反面、林雅子さんの「角のない角の家」にあるような家の換気機能を高める存在感の在る地下室にもあこがれているという内容にも触れられていました。

このところ構造設計一級建築士の講習を受けて、受かりもしない終了考査を控えている日々が過ぎ去っていく寂しさを味わっている私はこんなことを思いついたりしています。

住宅設計特に環境設計に興味ある友人も言っていましたが、地下室に地下という一年を通じて常温状態を生かす、地面近くの通風を生かすだけでなく、大げさかもしれませんが核シェルターならぬ耐震性の高い非難シェルターの役目も負うことが出来るはず・・・・ということです。

ここまでであればすでに商品化しているメーカーさんもチラホラ聞き及んでいますが、半地下とすることによって人目もはばかる完全なシェルターにするのではなく生活空間として家の中心部分に関連する形で存在させることが出来ると面白いです。

出来れば鉄筋コンクリートで作られるのが理想かもしれませんが、木造でも命を守れるくらいの耐震性能は実現できます、例えばその部屋だけは耐震の壁量を集中させるとか。

最近構造のテキストを読んでいるせいでしょうか・・・時間があるとそんなことばか考えています・・・






2008年04月19日(Sat)▲ページの先頭へ
改正は返して?
年金問題と医療保険問題の話題で世の中もちきり、騒ぎすぎて騒がなくていい人まで騒いでしまっている。

建築基準法の改正がもたらす不況問題や道路特定財源の問題にしても、どうして蜂の巣を突っつくような後ろ向きの話題にばかり注目が集まってしまうのでしょうね?

いままで隠されていた問題を白日のもとに晒してみんなで考えることには賛成です、日本の国が大人の国に生まれ変われるかの境目に来ていることの証拠ではあるのですが。

それにしても物事の本質がどこにあるかを惑わせるような報道はいただけません。

建築基準法を改正して、具体的にどんないい世の中にしたいのか?(単なる弱いものいじめか)

医療保険を見直すことは、人の健康にとって何がいいのか?(そんなのあるわけ無いか)

道路特定財源の闇の部分を暴いて無駄ずかいを少なくすることは必要に決まっているのですが、どうしてそれを許してしまったのか?(どうせ品の無い既得権者のみなさんがなし崩しにしてしまうさ)

なんでもいいけど、そんなの関係ない!

健康は住まいの設計を考え直すという切り口で、問題解決にならなくても自分の力で近づけるということ・・・・分かります?もっと前向きに建設的に明るく切り替えましょうよ。

「室内環境に力点をおいた設計をしてください」と設計者に注文をつけるだけです。それは。

どうせ政治家さんや官僚さんのやることでは何時のことだかわかりゃしないに決まっている。

建築基準法を改正して新しい資格を作れば何とかなるという結論が甘すぎる、安直すぎる、過去に何度と無く繰り返されてきた、あきあきしてしまう手法。

そしたらこちらはそれを逆手にとって専門家の差別化、スキルアップで報酬を上げちゃうぞ!!!


明るく生きましょうよ。






2008年03月19日(Wed)▲ページの先頭へ
フラット35って何だかご存知でしたか?
最近依頼を受けた案件の書類作りでフラット35のサイトを閲覧していて分かったのですが、その適合証明技術者が地元揖斐川町では私ひとりになっていました。

池田町ではひとり、大野町と神戸町、安八町にも不在です。(こちらで検索してみてください)

適合証明技術者はフラット35を利用して家を建てる方に、その技術基準を満たしているようにしてあげる水先案内人です。そしてそれを公的に証明書を発行する役目を負っています。(詳しくはこちら

フラット35は家作りを考えてみた方は一度はお聞きになったことのある言葉かもしれませんが、最近テレビのコマーシャルも聞かなくなってしまい、おそらく一般にはあまり知られなくなっているのではないでしょうか。

制度の形態を変えたものの過去の住宅金融公庫住宅の内容と技術的には変わってはいません。

変わっていないというのは技術基準の確かさにおいて変わっていないという意味ですが、守らなくてはいけない技術基準も過去のそれに比べて充実していますし、家を建てるときに守らなくてはいけない工事基準が示されていて、それを現場検査で保障できます。

低利で固定金利ですから月々の返済額を計画できます、新築だけでなくリフォームや中古住宅や中古マンションの購入にも結構大きな資金利用できます。

建築関係の話題で世の中を騒がせている昨今、そんなに大きな支出をしなくても我が家の一定の品質を守ることが出来るこの制度、振り返って考え直してみる必要を感じます。



2008年03月03日(Mon)▲ページの先頭へ
設計の原点に返る
夕べもふと思いついたというか、よく考えれば必然性のある思いつきです。

ネットやオープンハウス、(既知の知り合いを含めて)知り合いのご紹介などからプランの作成から設計監理までお付き合いくださり、紆余曲折の末、完成まで短期間ではありますが苦楽を共にしてくださった建築主の皆様がたくさんいらっしゃいます。

もちろん、たまにお会いしたり電話で会話したりすると思い出話に花が咲きますが、せっかく設計監理という建築への直視スタンスで時間を共有し、興味も持って頂いたのに、当然といえば当然ですが完成したらそれが薄れていってしまうのには、以前より寂しい思いを持っていました。

そこでネットお宅の私が思いつく結局こんなこと。

作らせて頂いた建物に関するメンテナンス知識やヒント、建築していた頃にはそんな余裕も無く思い浮かべることも無かった建物の価値、甘さ辛さを感じないたわいもない建築にまつわるよもやま話など、そんなこんなを通じて繋がっていたい。

不特定多数に発信するメルマガより親近感のある、ひとつの枠を感じる定期的なメールをそんな方々に発信していたいと考えたのです。

糸電話は糸が切れれば声が聞こえづらくなる、繋がっていれば「意図」電話にも変身(返信)可能です。

施工業者さんの定期点検より発展的で暖かみのあるものが目指したいですね。


2008年02月21日(Thu)▲ページの先頭へ
住まい創りに大切なもの
先週の休日、建築士会の行事で建築相談のカウンターに座っていました。

よくある相談なのですが、「住まいを新築したいのだけれど私はどこへ行ったらいいの?」と目を点にして返答を求めてくるのです。

とにかく世の中には「これが最高の住まいです」とばかりに全てが我田引水のスピーカーで耳がよく聞こえなくなるほどです。

確かに今の厳しくなった基準で建つ家は丈夫なのですが、建てようとする本人がどうしていいか分からなくなるほど情報過多です。

本当にお気の毒です。

過去の一時期のように住宅を創るのに設計者を代理者として設計と工事を進める形(設計監理)をまったく知られてないという状況ではなくなってきているようですが、でも相変わらず「そんなの聞いたこと無い」という方は多いようです。

どこの誰かは知りませんが、マスコミを利用してある種の妄想を抱かせてしまうかのような説得の仕方を見るにいたっては、ますます相撲ワザの猫だましのようなものです。

どれだけ時代が変わっても、工法が変化しても自分のほしい住まいはたったひとつ、けっしてメーカーが契約というレールに乗せて全てを与えてくれるものでもないのです。

自分の足で確かめることから全てが始まることを是非忘れないでください。

毎日の設計と現場監理を通じて、常に住まいに対する思いを反芻している人間の人としての中立な意見を確認して欲しいものです。

一生を賭けて築き上げてきたものを無駄な投資にしたくないものです。

あの日のイベントに来てくださった方の目を思い出すとそんな思いを確認させられました。




2008年01月17日(Thu)▲ページの先頭へ
環境チェック
竣工、引渡しから数ヶ月あるいは数年後の様子は現場監理をしている人間にとって興味があるものです。

ここ数日間に何件か時間を作ってお邪魔してきましたが、やはりというお話を窺うことができました。

設計計画の時点ではデザインの良し悪しがよく話題に出てくるものですが、数年を経過してくると聞かれなくなってきます。

確かにそれに対する満足度が高かった人、低かった人の差はあるのかもしれませんが、興味は薄れてしまうのでしょう、特に住まいという生活というライブ感のある建物では。

部分の不具合、たとえば建具や無垢材の伸び縮みなど動きのともなうもののメンテナンスは早期に対処しておくのですが、(ご本人にと取っては不愉快な出来事であるのは間違いないのですが)それ以上に興味のある事柄があります。

それは室内の温度、匂い、など空気感とでも言いましょうか。

これはメールなどでお聞きするより、私自身が体感するのが一番です。

特にこの時期ですと暖房機の運転時間や温まり具合、室内での行動の自由度、肩が凝らないか。

匂いの具合で換気扇の動きも分かったりします、無臭に近い状態であれば大丈夫。


「体が楽な状態で、この時期はうちへ戻るのが楽しみですよ」という言葉をいただくより、私自身が我が自宅の環境と比較するのが一番なのです。

灯油高騰の折、生活費節約に貢献出来ている省エネルギー住宅に満足していますが、それよりも体が楽に過ごせるという健康面が理解を生んでくれているようです。



2007年12月29日(Sat)▲ページの先頭へ
建築ジャーナルに掲載されました


「建築設計者としての生き方」なんてタイムリーなタイトルになっているとは知らなかったのですが、年末のある日に建築ジャーナルさんから作品掲載の提案を頂いて、これも何かの縁かなと感じるところがあり、お受けしたのです。

掲載させていただいた建物の建築主の皆様や施工に担当してくださった工事関係者の方々には、チャンスを与えていただいたことに感謝しております。

先に書きました表紙のタイトルがこうなっているとは知らされていなかったのですが、まさに「偽」まみれになってしまった2007年の社会現象から想像すれば自明の理。

この数年に竣工した建物を中心に、それぞれのテーマになった事柄をつたない短文に綴りつつ、私としての「建築設計者の生き方」を表現したつもりです。

大げさな表現かもしれませんが、自分がこの世から消えても残る建築物、(否、その建築物さえもいずれはこの世から消えてなくなるのですが)それを創るという作業に誇りと自信を持って望むという心構えを忘れてはいけないと自戒してみる必要を感じます。

望んで入ったきたこの世界でも、生き残るためとばかりに不正や裏ワザに走ることをよしとする風潮は頑として残っているのは事実ですが、それが設計の本質自体までも曲げていってしまうように考えています。

愚直と言われても、その人がこの世から消えてさらに創った建物もこの世から消えても残るものがあるとすれば、「それが何か」を茶化すことなく真面目に考えつつ進みたいものです。

おおとりを飾るように巻末に写真集とともに独り言をボソボソと語るように書かれている文章をそんな思いを持ちながら書いたのだと思いながら読んでみてください、一味違うかもしれません。



2007年11月16日(Fri)▲ページの先頭へ
上を向いて歩こう
「上を向いて歩こう」という坂本九の世界的ヒットがありました。

いつも現場で上を向いて工事の進行具合を見張ってばかりですが、この歌の歌詞の奥深さにふと気が付いたのは夕べでした。

悲しみの出来事に直面すると多くの人は涙がでます、知らず知らずに出てきます。
不幸にもこの回数が多い人はそれを堪えるために上を見ている習慣が出来てしまうそうです。

たまにそんな人に出くわすことがあります、意味が分からないのだけれど何故か上を向いて視線を反らして会話をする人。

一見失礼な対応に捕らえてしまうことがありますが、最近では「この人はきっと何か悲しいにことにあっているの違いない」と考えるようになりました。

建築現場では上からモノが落ちてこないか注意するために上を向くこと、出来具合を確認するために上を向くこと、どれも心の問題とは関係のない行動です。

しかし「上を向いて歩こう」の詩では上を向けばいつも空があり、空は相変わらずの雄大さで慰めてくれる、同様に気を紛らわせてくれる「現場」があるのは幸せな証拠のようです。

そんな意味では同じ「救い」かもしれません。

構造偽装のお陰で心に触れるデザインを軽視するような流れになってしまっていますが、細やかな心で建物を眺めることも必要なのではないでしょうか。



2007年11月11日(Sun)▲ページの先頭へ
建築に注目が集まるのはいいけれど
建築基準法改正不況という言葉まで囁かれる様になってしまった準備不足の改正法施行。

誰がそんなに急がせたのでしょう?野党勢力でしょうか?官僚の読みが甘かった?

東大を卒業していらっしゃってもこんな程度の混乱を引き起こしてしまうのだから、構造計算の一つや二つ私たち凡人が間違えても許してもらえないものでしょうか。

だって不況を招いてしまった責任は誰が取るんですかね?
また「すみません」と記者会見開いてそれでおしまいですかねー。

失敗して恥かき話を平気で全国ネットに載せてしまう時代においては、本当に個人個人の責任が重くなってきますよね。

あの人ならば信頼できるからと全権お任せなんてのは古い時代の考え方になってしまいました、建築基準法はもちろん、世の中の出来事に関心を持って生きていくのが当たり前の世の中になりました。

フランスでは国の政治に全ての国民一人一人が真剣に議論しているそうです。

日本人も「難しいから頭のいい人に任せておくよ」なんて言っていると知らないうちに時代から置いてけぼりになってしまいます。

自らの身を託す住宅も然り、振り返って考え直すときが来ています。




2007年10月28日(Sun)▲ページの先頭へ
設計では後悔は最小限に
お恥ずかしい話をひとつ、自分の個性を発揮できそうな設計が消えてしまった話。

これだけ結論的な書き方をすれば、もう言わずもがな・・・

今年の7月にある小規模の福祉施設の設計に入りましたが、何とかなるだろうと掛かってみたものの仕事量の多さと、契約期間の短さに追いまくられていました。

周囲の人の協力は得られたものの、やはりスピードを上げるには自分でこつこつと描くのが一番ということに気がつき、それからは毎日徹夜をひとりで続けていました。

残念なことにその裏返しは他の仕事への気配りの欠如・・・なんです。

関係者の方が読まれていたなら大変失礼な発言になってしまいます、ごめんなさい。

確かにこの設計の中身は自分なりに把握できて今となれば収穫ある内容の仕事であったかもしれませんが、大変後悔する出来事が起きてしまいました。

それは依頼主の希望する期限に着手できなかったがために、工期がズレてしまうことがハッキリして工事業者の設計施工に切り替えることになってしまったことです。

残念な出来事ではあったものの、今にして思えば、慌てて設計してしまうくらいならばかえってこの方が良かったようにも思います。

振り返ってよく考えてみれば、時間的余裕というよりも、もし中途半端の設計になっていたらという・・・後悔のほうがズッと大きい理由です。





2007年09月22日(Sat)▲ページの先頭へ
社会保険庁は救いがたい
社会保険庁の話題が毎日報じられているにも関わらず、怒りをブログに書き綴る時間が無くてムズムズしていました。

それほど忙しかった(過去形)この数ヶ月でしたが、社保庁の職員さんのように無駄な時間ではなかったのは救いです。

組織の中では常識化していた保険料の横領のような行為は、内部ではごく当たり前で通っていたに違いありません。

これに似た組織のあり方が、実はどこにでもあるのではないでしょうか。

道路特定財源のように、「国の隅々にまで道路を平等に使える」の大義名分を振りかざして、平気で私物化されている国庫金はいくらでもあるのでしょう。

どこかでボタンを掛け違えてしまった社保庁。

保険料を毎月収めていれば、必ず国が助けてくれるはず・・・と信じて疑わなかった自分がバカでした。

いくら自己責任の時代とはいえ、国が個人を裏切るところまでは考えたくは無かったはず。

ここは、銀行を救ったように、よく分からない審査基準で名寄せなどしていないで無条件に一律一定の基礎年金部分は、全て国が責任もって負担しましょうということにはならないでしょうか。

銀行は救えてても個人は救えないのでしょうか?




2007年07月31日(Tue)▲ページの先頭へ
改革実行力
今回の参院戦の結果はある程度予想できていた。

なんて書くと建築設計の世界から離れるようですが、世の改革を望んでいる人間が思っていたのは、キチッと改革が進んでいないように感じていた、もしくは進んでいたのなら見えるように説明がなかった。

そんな状況で民主党が安部政権の改革ではなく、民主の改革はどうですか?

そう問われると、「民主でもまあいいか」と思ってしまうような状況にあったのだ。

建築申請も偽装事件に端を発した6月21日よりの新法のスタートは、官民問わずに彷徨っているようです。

私の場合、他人事ではないのですが(現に困っている物件を抱えています)、それが自分に対して不利な立場へ追い込まれていくにしても(あくまで建築主に対して)甘んじて受けなければならないと自覚しています。

これがチャンスとばかりに建築主さんに対して建築、特に構造の大切さを説いています。

これが自分で出来る範囲での「改革のお手伝い」であるようです。

それにしても同世代の安部さんに踏ん張って欲しいと願うばかりです。






2007年07月24日(Tue)▲ページの先頭へ
手すりのありがたさ
五体満足で身体的に不自由なく毎日仕事をさせていただいている幸せを感謝しなければいけないのに、何故か不満に思うことはいくつも出てきます。

仕事が思うように進まないことは仕方が無いことと諦めても、体感できないのは手すりなどの生活補助用具のありがたさです。

朝6時半のラジオ体操をはじめるようになってからはギックリ腰になることが無くなり、唯一手すりのありがたさを感じるチャンスは幸か不幸か訪れることは暫くなさそうです。

手すりがトイレのどの位置に、階段のどの高さにあれば一番便利なのかは障害の種類によってかなり差があるのは机上の空論・・・・という幸せ。

しかし、設計を毎日している人間が知らないのは不幸。

ここのところ進めている福祉施設の手すりなどを描きながら、分かっているようで分からないもどかしさに思いを巡らせています。





2007年07月11日(Wed)▲ページの先頭へ
瓦は日本の心
本日、ある建設会社さんからいただいた情報というか、貴重な噂、生の声。

最近は油が値上がり傾向、過去の歴史が物語るようにリンクする関連商品は値上がり傾向のようです。

とりわけ瓦のお話です。

もとより東海地方の瓦の産地はお決まりの三州が有名です。

中小企業、否、小企業に支えられてきた瓦の製造元を直撃している今回の油の値上げ。

相変わらず競争の激しい建築業界にあっては、製造コストを2倍にするなんて通用する話ではありません。

売れなければ店じまいするより道はないこれまた厳しい弱者の道、同時に生活基盤を失う瓦の職人さんも居るとか。

日本の風土そのもでもある瓦をメンテナンスしていってくれた職人さんを見殺しにするなんて出来るわけもない。

大工さんも不足傾向にある日本の将来、いつの日にか甍の連なる日本の街並みは無くなってしまうのでしょうか?

寂しい限り。

妥協の上手な日本人は伝統の文化さえ妥協してしまうのでしょうか。





2007年07月04日(Wed)▲ページの先頭へ
余裕は単なる気分転換?
毎日の生活を少しでも余裕をもって、人生楽しみながら生きたいものだとの思いを持っておられる方は少なくは無いはずです。

ところが生まれもった性分というか宿命というか、余裕は毎日を忙しくしている中から刹那的に散りばめられた宝石のように存在していると考えてしまう。

ゆったりと大洋のように目の前に広がって、多くの時間を使うのが余裕というのではないと。
・・・・いつかはそんな過ごし方をしたいと内心思っているのだけれど・・・・

最近、完成したW邸、かの建築主から聞けた感想。

電気代がこんなに下がるとは思いませんでした、(建築主自信も想像外でしたが)こんなにいい建物にしてもらって良かったですよ。

こんな言葉は、どんなに小さな声でもしっかりと自分の耳に入ってきます。

設計料なんてもうサービスしちゃいます・・・なんて言ってしまいそう???

嬉しい言葉に生活の中に見つけた本当の余裕を感じて、ゆったりした気分にしばらくは浸れます。


2007年06月23日(Sat)▲ページの先頭へ
地球温暖化と屋根の熱反射遮熱ボード
話題はいきなり大きなサブタイトルから始まってしまいます。

先のサミットでも大きく取り上げられた地球温暖化阻止に関する宣言文。

問題は地球規模の大きさですが、ひとりの人間が出来ることは小さすぎます。

どうせひとりくらい協力しなくても地球はどうにかなるほど自然の包容力は大きいに違いない、というじゃな_い。

冗談交じりにノンキに構えているとあなたの孫はあなたのそんな考えを恨むことになりかねないのです。

安部総理の支持率低下の性か、サミット宣言文に対するコメントを述べる表情に悲壮感を感じてしまっているのは私だけでしょうか。

そんなある日に以前各務原の現場でお知り合いになった石川の福田さんからの嬉しいタイムリーなお便り。

夏が近づいてきたからというわけでもないが、屋根の垂木の下端に張ってしまい、屋根通気と熱反射で遮熱効果をだす優れもののボードの情報提供。

特に特別な工法でもなく、シンプルで分かりやすく簡単な施工方法です。

これと気密を組み合わせれば、冬暖かいだけにとどまってしまう省エネルギーは、夏は涼しい省エネルギーになります。

ちょっと専門的ですが、省エネルギーは何かといえば、人間にストレスを与えない工夫なのです。

この簡単でお金の掛からないアイデアは、安部さんも笑顔で賛成していただけそうです。

久しぶりの興味深い情報に、素直に感動。

さっそく設計中のプランに取り入れることにしました。





2007年06月16日(Sat)▲ページの先頭へ
談合問題を乗り越える設計事務所の存在価値
最近、地元のお役所で過去に指名をいただいたことのない、いわゆる実績のないお役所からメールが入ってきました。

メールアドレスは、会社用、個人用、お役所通信用、銀行用、アフェリエイト用、などなど複数持っています。

レンタルサーバーは大容量にしてセキュリティーのしっかりした会社のものを利用してつまらない迷惑を被らないように、掛けないようにしてあります。

面白いのは、仕事の指名メールをいただいた役所は、そんな多くのメールアドレスのうちの一番古い公開度の高い、つまり最もスパムの標的にされやすいアドレスを使用されていたことです。

ここからは想像の見解ですが、たぶんブログやホームページが検索エンジンに掛かって選んでいただいたのかな?という甘い観測です。

ただ単に作品を公開するにとどまらず、何を考え何を創っているかといった血の通った、体温を感じるブログの存在が効を奏したのかな?

などと勝手に喜んでいました。

最近の新聞紙面を賑やかに飾っている談合問題にも、曇りのない信頼を築けるかという大事なポイント、発注者であるお役所が受注者である建設会社や設計事務所を選定する判断基準が不可欠であるに違いありません。

コンペやプロポーザルでも見えてこない信頼感は、やはりお互いの考え方を知ることの出来るツールが必要なのでしょう。

こんなところに糸口があったと発見した気分を持った指名メールでもありました。












2007年06月07日(Thu)▲ページの先頭へ
年金記録漏れは誰の責任か?
ここのところ大騒ぎの年金の記録漏れ、保険の不払い、などなど。

国の機関は絶対だと信じていたのに、疑う余地も無かったのに、何たる有様。

大会社の傘下にも入れず無力でどうしようもなくイジマシイ生活を強いられる建築士のおじさんは目が点になっています。

大きな組織の力にも頼る術もない建築士、個人の力、自分の力のみを信じて生きていかなければならない建築士。

どこの誰だか知らない東京の建築士が犯した犯罪のおかげで、否応無く大改正される建築基準法と建築士法にあきれ果てて従うしかない岐阜の田舎建築士。

それでも何とか、自分だけでもコンプライアンス、意地でもコンプライアンス。

もし法を犯せば生活もままならない状況に追い込まれる建築士が腹がたつのは、年金を預かってくれているはずのお役人が、すみませんで済むのかよ?

政治家のおじさんもテレビでお互いの欠点を笑いながら指摘しあって視聴率を稼いでいる暇があったら、議員年金でも自分たちの給料でも削ってお返ししますとどうして責任を取らないの?

どうして建築士だけがコンプライアンスなの?

パンドラの箱を開けたくらいではない、ひっくり返して分解してしまった政治家さん?

あなたたちの行動を見ながら、今育ちつつある将来を背負う子供たちに恥ずかしくないの?

恥ずかしい分けないよね。これも地球温暖化の間接的仕業と逃げてしまうか。

定規がないと線が引けない建築士にはどうしても理解できない。何とかしてもらわないと刑務所に入れるぞと脅かされても税金も出したくない。

これだけ書いてもちっとも気が晴れない・・・・・






2007年06月01日(Fri)▲ページの先頭へ
揖斐の家
工事業者と設計業者を同列になりがち区別がつかない、馴れ合いの存在を前提に物事を進めてしまう、建設工事に投資すれば概ね住民は納得するだろう、持ちつ持たれつではないかと真実が見えない、昔からそういうもんだという安直な意見。

そんなぬるま湯とゆでがえる的故郷、揖斐。

生活を支えるという崇高な目的であるにしろ、自分の思う設計を生業とすることは難しい。

しかし生まれた土地の人々に支えられている自分がいる。

矛盾する言葉の羅列に終わりそうだが、そんな現実を考えあぐねている毎日、ある日の朝事務所へ向かう道すがら振り返った池田山と揖斐の空は元気をくれるに十分なすがすがしさであることに気が付いた。

そんな余裕を持って生きている自分は幸せな存在だとつくずく感じる。

周りは自然に挑戦的なコンクリートの立方体に囲まれているわけではなく、逆らうことなく朽ちかけてゆく木造の壁、雨を受け流してゆく勾配屋根。

すべてが肩を張らずに、頑張りすぎずに生きろと教えてくれているようだ。

やはり無粋なコンクリートは揖斐には似合わぬ、木造がいい、揖斐の家。







2007年05月29日(Tue)▲ページの先頭へ
言葉と住まいの設計
ハードで重いバックミュージックに乗せて聞こえる透明感のある歌声、シンプルでダイレクトに伝わってくる詩。

昨日不慮の事故で無くなった坂井泉水さんの詩は自信も言ってみえたように、歌詞を大切にした歌声はバブルの崩壊にあえいでいた時代を清涼感で包んでくれていたようにも感じました。

私の世代でも車の中には彼女の歌声の詰まった「カセットテープ」が何本もあり、まだ最近も楽しんでいました。

詩を大切にする、言葉を大切にするということは設計にも言えることです。

果たして自分の住まいがどのようになってゆくのかを知る場でもある設計打ち合わせでは、どのような言葉を使えば意図が伝わるかを考えさせられる場でもあります。

職業の癖でしょうか、つい理屈っぽく専門的になりすぎてしまう説明を、坂井さんの詩のようにシンプルに確実に伝えたいものです。

何年たってもうまく伝わらないものです。





2007年05月22日(Tue)▲ページの先頭へ
温度差のない暮らし
みなさんは住宅の室内空間において天井付近と床付近の温度差が少ないことが、予防医療になることをご存知ですか?

シックハウスを研究している医学者が、気密断熱を気にして作られてきた従来の住宅と、気密断熱を設計上で制御して作られた住宅にシックハウス症候群の既往のある人の協力の下に実験を試みている例があるようです。

同一条件のもとに一定期間滞在していただき、その血圧と脈拍を比較すると明らかに気密断熱を気にして作られた住宅に軍配が上がっています。

そのあたりを勉強されているある知り合いからのメールを以下に紹介しておきますが、私も心して取り入れている設計方針がエネルギーロスを押さえるだけでなく、予防医療にもなっていることに充実感を覚えました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すでにご報告済みですが、「シックハウスと考える会」と「安全な住環境に関する研究会」
とのジョイントで健康住宅モデルハウスが昨年完成しています。勿論アイシネンが採用
されていますが、5月15日に研究会の総会と報告会が東大坂本先生や省庁の方々さらに
杉田医学博士(大阪労働衛生総合センター所長)も出席のもとに行われました。キング
ラン・ハウネストもこの研究会の会員として今後活動を開始して行きます。この報告書
は国交省住宅局の名前で出版されています。

報告の中で、血圧測定の比較が発表されました。温度差がない居住空間ではいかに安定
しているかがわかります。協力者は45歳のシックハウス症候群の既往のある男性で
血圧、脈拍の測定結果です。築20年在来住宅の温度差のある結果との比較です。

* 在来住宅での各室の温度と入浴前後の血圧変動
   場所         温度    血圧     脈拍
   リビング       17℃  126−84  72
   風呂場        6.4℃ 151−101 76
   入浴中 風呂湯温度 41℃   137−78  79
   入浴後             147−98  76
   リビング       17℃  124−84  75

* モデルハウスでの各室の温度と入浴前後の血圧の変動
   場所        温度    血圧      脈拍
   リビング      19.5℃ 120−80  72
   風呂場       19.5℃ 131−85  76
   入浴中 湯温41℃       125−82  74
   入浴後             134−86  76
   リビング      19.5℃ 122−82  75

温度差のない暮らしでは、以上の様に最高血圧、最低血圧とも変動は少ないという事
がお分かりいただけると思います。住環境を良くする事は、予防医療に繋がっている
といえます。予防の大切さを改めて認識したいものです。






2007年05月13日(Sun)▲ページの先頭へ
公共工事の入札辞退者が300件以上?
今日、日曜日の朝に見た国営放送の特集番組です。

愛知県で話題になった公共工事の談合問題に関連して、公共の工事予算が毎年減少していることもあり、入札辞退者が相次いでいるということに関して、その原因と対策事例を特集していました。

過去の入札では予算の提示も無いまま入札をされていたのですが、最近は工事予定金額をあらかじめ公示されているのが多くなりました。(最近の経験では予定の金額さえ公示せずして行われたことがありましたが、何か統一感のない考え方です)

番組の中に現れた建設会社では、提示された予算で赤字が出ないかを検討のうえ、赤字になるという結論にもかかわらず役所との関連もあり、予算よりちょっと低い札を入れられました。

さらに低い落札者があり、結果は入札できなかったのですが、「赤字になると分かっている工事を粗悪工事に震えながらやるより、落札せずに済んだだけでも良かった」という感想でした。

経営的な事情は各社各様でしょうが、公共工事の受け側の姿勢はこれでいいように感じました。(・・・当たり前のことを言っていても当たり前に聞こえないのが笑えてしまいます)

経営的技術的に自信のある会社がいわゆる「頑張れば」いいのです。

公共工事の「おいしい」ところを守ろうとする既得権や団体の存在が工事を粗悪なものにしていると考えたほうがまともです。

設計の立場での入札でも同じです、だだ予定の予算と工事の内容をしっかり伝えないまま、短期間で稲妻のように実行される入札に出くわすと、どこかで不協和音を発している音源の存在を感じます。

それが大人の世界だと言った人がいましたが、どこに大人の世界があるのでしょうか?・・・大人のほうが子供っぽいですね。





2007年05月09日(Wed)▲ページの先頭へ
現場監理と床板の傷
ごく最近ですが、エキスポランドの事故を受けてコメントしていらっしゃった東大の先生が「失敗学」なる学問を体系化されているのをテレビの放送で知りました。

さすがに機械工学の先生だけに今回の事故は「金属疲労」のランクに入り、人為的要素の少ない部類だということです。

ただし現在の段階ではということでしたが。

建築の世界にも「失敗学のすすめ」なる本にお世話になる要素がありそうだと思い、さっそくお得意の楽天ブックスにてネット注文しました。

残念ながら表題の内容も「失敗学」に大いに関係しそうです。

建築工事をする以上、仕上の状態の良し悪しは人間と癌の関係、人間とエイズウイルスの関係にも似ています。

仲良くしたくはないが、一旦現れたら仲良くしざるをえない、付き合いたくない友人のような、もちろんそんなにノンキにはしていられないのですが。

建築を請け負った現場管理者の責任ですとばかりにスジ論を通していても、現に現場養生が悪ければ、監督さんの現場確認が悪ければ、あるいは協力業者さんの不可抗力が防止できなければ、避けたくとも起きてしまうことです。

建築主さんにとって起きて欲しくない傷跡ですが、出来てしまった以上は補修工事を行うようより手はありません。

補修というと補って修めるので中途半端で気分が悪いのですが、この時代にはそれに対応できるプロや科学の進歩が生んだ薬剤や工法が存在しているようです。

そんな方法論を徹底的に研究し実行するのが最大の建築主さんにたいする償いになっていくのでしょう。


大げさにも聞こえる決意表明ですが、何度現場監理に立ち合っても考え直さざるをえない失敗学です。

建築が他の工学とは違う位置関係で人間の肌と接している証拠ではないでしょうか。





2007年05月02日(Wed)▲ページの先頭へ
1は100より小さいか
面白い話を拾いました。

1は100には負けない自身があると言いました。
それに対して100は1に笑って言いました。
おまえは1のくせして100の俺に勝てるとはずがない、どう考えても小さいからやめておけ。
ところが1は100には負けないものを持っている、勝ってみせる、と言いました。

そこで100は自分より大きな1000に相談しました。
すると1000は1に言いました、おまえは何を言っている、1が100に勝つはずがないではないか。
なんなら1000の俺が相手してやろうか?おまえは負けるに違いない。
ところが1はそれでも勝ってみせる、いや負けるはずがない・・と自身満々だった。

この分かったようでよく分からない話は何のことだか分かりますか?
この話を聞いた人はそれぞれが自分流の解釈をしていらっしゃることでしょう。

客観的な数字の大小、大きさという観点でしか聞こえてこなかったあなたは自分の視野の狭さを恥じなければなりません。

ボリュームの大きな設計の仕事になると目の色を変えて、闇雲に飛びついてゆく設計者がマスマス多くなってきたように思います。
しかしそれもやはり個性かもしれませんが、設計という仕事の性格と使命はボリュームを競うことからは程遠い。

あなたはどうお考えですか?

1は100に負けてもかまわない、といういうより、相撲と野球で何を競うのでしょうか?







2007年04月25日(Wed)▲ページの先頭へ
建築設計の営業行為
何を今更とおっしゃる同じ穴のムジナさんたちがたくさんいらっしゃるとは思いますが、今更だからこんな時代だからこんなタイトルを思いつきました。

建築設計の世界を理解できる人は日本広しといえども本当に少数に違いありません。

ところが悲しいかな誰でもそうであるように自分の身の回りの半径何メートルかは定かではありません、目が届いて気になる生活圏は自分勝手に決めてしまっていることについては人間も犬と同様の縄張り意識のようなもの。

いくら設計の世界に住む人間にとって大義名分があっても外の世界の人々からは単なる犯罪にしかならない例が談合なのでしょう。

業界発展のためという考え方を隠れ蓑にしても、やっぱり世の流れや道徳観に照らし合わせればものごとに紙のような表と裏を作れば生来が善人にはストレスの溜まるのは間違いないようです。

錬金術であるかのように仕事を確保する手段としてこれで大規模な仕事を確保している会社はたくさん存在してきたことでしょう。
またそこで仕事をこなして勉強してきた設計者が現実には世の中にたくさん居ることでしょう。

そのことに目を瞑っているといつまでたっても島国根性の抜けない国民性を笑われてしまいそう。

否、和の精神が潰えてしまうのでしょうか?

どこまでいっても少女趣味の設計者と笑われてしまうのでしょうか?どれだけ頭を下げても人情論や意味の分からない馴れ合いだけで「それではお願いしましょう」なんてなりえないのが設計の営業の世界と考えている。
いやそうあらなければならないと考えつつ齢50うん歳になってしまいました。

いつになっても理想と現実はかけ離れてしまっている、それに開き直らないこと自体が大切な生き方なのでしょう。








2007年04月14日(Sat)▲ページの先頭へ
建築士は悪人か?
今年の6月の建築基準法の改正内容をご存知ですか?

といっても建築の設計を職業としている関係者だけが騒いでいるだけですが、どうしても許せない大きな一点があります。

それは良心に基づいて設計を毎日進めているつもりなのに法令自体が性善説ではなく性悪説を前提にした体系に変えられてしまうと言いたい内容になっているからです。

ピアチェックという格好のいい言葉で表現されているようですが、法改正前までは構造計算を審査する例えば役所の構造担当者と設計者としての一対一で計算方針を議論してお互い確認しあえば審査は通過しました。

ところが法改正後からはさらに第三者機関に適合性判定と称して構造計算の審査を受けることになります。

もうすでに法改正前夜ということでその予行演習かのようなチェックが開始されている行政にも出くわしていますが、ほとほと時間が掛かることには困り果てています。

厳格な審査をした第三者はその意見に責任を持ってくれるのでしょうか?

適合性判定に要するお安くない費用をなぜ建築主に負担させるのでしょうか?

なぜ評価認定ソフトを使った構造計算ならば費用が安価なのでしょうか?

設計監理者という立場に何をもって資格を認めているのでしょうか?

このような厳密な審査を受けなければならない建物規模のボーダーラインが柱間隔6m以上というのも困ったものです。

何故かと言うと公共性の強いものだけでなく小規模なものまでもその対象になってしまうからです。

専門家にしか理解できないような話題で恐縮ですが、問題山積みのままで規制強化だけに走ってゆくやり方は賛成できません。

設計者も意見を持ち選挙権を持つ個人であり国を支える納税者であることを忘れずに、
設計者一人一人に対する評価の方法を法的に盛り込んでいって欲しいものです。


また建築主の意見を代弁する設計者ではいられなくなってしまうのは困ったものです。







2007年04月06日(Fri)▲ページの先頭へ
団塊世代の家作りは慌てないこと
団塊世代のいえ作り、などという言葉を聞くことが多くなりました。

今までのいえ作りと何が違うのかを教えて欲しいものですが、何も変わることはない。

すでに存在していたパターンの中からコマーシャルに乗りそうなのを選定しては大声を出して叫んでいるだけのようにも思えます。

いつの時代にもコピーライターたちの言葉遊びに乗せられてしまうのは家作りの夢に酔った人たちです。

経済効果の風を吹かせるのがライターさんの役目で、確かに設計者もその一端を担う運命にあるのは否定しませんが何か寂しい思いをするのは私だけでしょうか?

団塊の世代の人々の内どれだけの人々が退職金を家作りに捧げるのかは知りませんが、大きく変わった生活習慣が自分の健康に与える影響を考えて、まず体のこと、そして自分自身の思いを再確認してから、おもむろに家作りに取り掛かって欲しいと考えるこの頃です。






2007年03月28日(Wed)▲ページの先頭へ
今回の地震は大丈夫でしたか
前回、免震構造について感想を書きましたが、直後に石川県の地震が発生してしまいました。

輪島は学生時代に旅行したことのある思い出の地です。

地域的にもいたし方ないのかもしれませんが、またもや古い住居に被害が集中しているようです。

壊れた絵を見せつけられると、悲しい悔しい思いと同時に耐震補強という言葉さえ情報として耳に入っていなかったのかと考えざるを得ない状況にも空しさを感じてしまいます。

今回はちょうど日曜日の朝の出来事で、自分のパソコンで名古屋市内の道路網をプリントアウトしていたときに揺れ始めました。

感覚的にいつもより長時間揺れたため、直感的に「今回は大きいぞ、近いぞ」と思いました。

地震が起きる頻度がますます短くなってきており、それに比例するかのように書店で耐震補強について触れてある建築雑誌や参考書を衝動買いしてしまいます。

笑い話ではなく同じ本が2冊になってしまっています。・・・・ごく最近のこと。

自宅の幾棟かも手を加えなければ・・と毎日のように考えています。

みなさんは大丈夫ですか?








2007年03月23日(Fri)▲ページの先頭へ
身近にある免震構造
人にも忍耐強い人と逆境を受け流すように生きてゆける人がいるように、地震に耐え忍ぶ建物と地震を受け流す建物があるのをご存知でしょうか?

ちょっと考えてみても耐えて生きてゆくのはストレスが溜まってしまい、どこかで耐え切れなくなります。
逆境を受け流すように生きてゆける人は持って生まれて器用な人か、苦労の末に悟りを開いた人、もしくは鈍感な性格?かもしれません。
(小生の身の回りにも驚くほどデリカシーのない人がいます???)

実は建物の場合はそれほどの苦労もせずして地震を受け流すことができます。

木造の伝統工法、耐力壁が少なく釘などの金物ではなくホゾやクサビ、ヌキなどの仕口が構成されている建物、身近な例では神社や寺などです。

基礎は石の上に固定もせずに柱が据えられているだけ、柱とは柱はヌキで繋がれており、梁は柱に長ホゾで抜かれてクサビで止められている。

柱や梁はこれでもかと言わんばかりに身が太く、まさに自然素材の固まり、森の復元物です。

地震の実大実験でも阪神の大震災クラスの揺れにも、ギシギシと石の上で揺れながらも究極の免震で復元してしまうのも見たことがあります、めり込みが生じた部分は部分補修で元のままになる。

耐震、耐震と騒がなくともヌキ構造を見直して住宅の基本構造に取り込むことに目を向けてはどうでしょうか?

マスコミに流されて、にわかじたての建築知識でメーカーの手先のような家を作るようでは地震がきて壊れてしまうのが関の山。







2007年03月19日(Mon)▲ページの先頭へ
黒川記章さんと選挙に思う
黒川記章さんとは同じ建築の設計をやっているという共通点以外は縁もゆかりもないのですが、最近、都知事選に立候補されてからテレビのインタビューや討論番組で何をおっしゃるかが興味深くって毎日気になります。

いろいろな事情があって立候補をされているようですが、黒川さんが書かれている本などから想像していた彼の毎日の動きからは都知事としての幅の広い仕事を全てカバーできるとは思えないのです。

あくまで本を読んで知っている範囲での話ですが。

それよりも気になるのは、言動を見させていただいていて大建築家としての見識がこの位のものだったのかと歯痒く感じてしまう寂しさです。

同じ設計を生業にしてらっしゃるあなたはどう感じられますか?

どのような仕事も同じだと信じていることは、自分の専門分野、たとえば建築設計というフィルターを通じて建築設計という言葉で建築設計という武器で、世の中に意見を発表してゆくという道が本来の自己実現であるように感じました。

もっとも黒川さんは石原都政を阻止するのが目的だとハッキリ主張してみえますが。

このところ建築の設計者は世の中の注目を集めている中、我ここのありと張り切っておられる姿はやはり尊敬に値します、その意味では応援したいものです。



1 2 3 4 5 6 7 8 9    全246件




新着トラックバック/コメント

コメントをお待ちしています

カレンダ
2008年8月
         
8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

アーカイブ
2005年 (98)
7月 (17)
8月 (27)
9月 (25)
10月 (14)
11月 (11)
12月 (4)
2006年 (98)
1月 (9)
2月 (14)
3月 (20)
4月 (12)
5月 (12)
6月 (5)
7月 (3)
8月 (3)
9月 (4)
11月 (6)
12月 (10)
2007年 (44)
1月 (8)
2月 (7)
3月 (8)
4月 (3)
5月 (5)
6月 (4)
7月 (4)
9月 (1)
10月 (1)
11月 (2)
12月 (1)
2008年 (6)
1月 (1)
2月 (1)
3月 (2)
4月 (1)
7月 (1)

アクセスカウンタ
今日:49
昨日:229
累計:153,277